八戸でがんの家族を支えるあなたへ

がん保険

私の母はすい臓がんで亡くなりました。
67歳でした。当時の私は41歳です。

八戸市内の病院で、がん入院期間は11か月です。
すい臓がんが見つかった時に、がんの大きさは7センチ。
ステージ4、肝臓に転移あり
余命3か月と言われました。

今、家族にがんの方がいて、
支えている家族の皆さんへ向けてこの記事を書いています。
少しでも心の助けや、心の整理に役立てば幸いです。

すい臓がんで入院した母の枕元に飾られた花

 

  1. 胃痛が続くが、原因がわからない。すい臓がんが、見つかるまで
    1. 最後の夏、何気ない日常が終わる
    2. 血液検査で、数値異常、夜間の電話。黄疸も出る。
    3. 病院で検査。そのまま入院が11か月。家族二人入院の非常事態。
    4. 母入院中に妹出産、母も新生児室へ散歩
    5. あの時、がん検診を受けて入れば、もっと早く病院へ行けば、責めないでください。
  2. すい臓がんの治療 抗がん剤、放射線。成果の出ない治療はつらい
    1. 放射線と抗がん剤の併用療法
    2. 病院から一度だけ有った、母の電話
    3. 緩和ケア療養。何もできないもどかしさ
  3. おすすめ、がんの情報で役立ったもの「回想法」
  4. 八戸より東京?がんの治療法探し。でも、患者さんと向き合ってください。
    1. 後悔1、治療法探しに集中し過ぎた、気が紛れたからかも
    2. 後悔2 食べさせるという罪。患者の為じゃなかった、自己満足だった。
    3. 後悔3 母といっぱい話をすればよかった。普通の生活のありがたさ。
    4. まとめ 本当に見るべきものは患者。がんという病気じゃない。
  5. 3.がん治療での病院、医師との向き合い方
  6. がん治療の症例数や実績を調べる本
  7. がんの治療費、損得じゃない保険の意味。
    1. 長期入院。がんの治療費どうする問題
    2. がん入院費の支払い、患者がお金の心配するって・・
    3. 保険は安心のため。保障内容の確認が大事。
  8. ご家族が健康で、毎日、忙しいあなたへ
    1. あなた自身と、ご両親の保険の内容を確認
    2. 普段からもっと話をする
    3. 日常は突然終わる。来年は来ないかも、毎日を大事に

胃痛が続くが、原因がわからない。すい臓がんが、見つかるまで

母はすい臓がんが見つかる一年ほど前から、
胃が痛いという事で八戸市内の総合病院へ通院しておりました。
痛みが収まったり、また痛くなったりを繰り返していました。
今思えば、胃の痛みで漫然と通院していた事に疑問を持ち、
早めの検査をすすめればよかったです。

このころ、私の家では、妹の娘を預かっておりました。
妹が妊娠中で、早産しそうだという事で入院していたからです。

私の子供は娘二人、小学校三年と一年、妹の娘が幼稚園。

それと、私たち夫婦と私の父と母、三世代7人家族です。

かわいい盛りの孫娘三人と一緒で、母はとてもうれしそうでした。
ある晩、孫三人と母が布団で寝ていて、あまりにも幸せそうなので、写真を撮った記憶があります

最後の夏、何気ない日常が終わる

一年ほど通院した8月の終わりです。
テレビでねぶたの映像が流れました。
私は母に「ねぶた見たことある?」と聞きました。
母は「見たことないな」と言いました。
私は「それじゃ、来年見に行こうか」というと
母は「そうだね」と言いました。

夏ですから、そうめんなどを食べる機会もありました。
母は食欲がないらしく、そうめんもあまり食べません。
このころから、親せきや知人などから、
「痩せてきたね」
「病院行ってるの」
などと、よく聞かれるようになりました。

9月初め
私は母に「違う病院へ行ってみたら」と勧めました。
とある金曜日の午前中に、
母は八戸市内の消化器系の別な病院へ行きました。
病院から戻った母に、どんな検査したのと聞くと
「血液検査だけだったよ」といいました。

血液検査で、数値異常、夜間の電話。黄疸も出る。

翌日、土曜日の夜八時ごろ、
電話が鳴りました。
出てみると、金曜日に行った病院の先生でした。
先生は「夜にすみません。血液の数値が悪いのでお電話しました。
月曜日に紹介状を渡すので、すぐ大きい病院へ行ってください」
とのことでした。

夜九時ごろ、母と孫三人はお風呂。
下の娘が、「おばあちゃんのお腹、黄色いよ」と走ってきました。
私が母へ、このことを聞くと「月曜日に病院だから大丈夫」との返事。
私もそれ以上、話したり、お腹の黄疸を確認することもできませんでした。

病院で検査。そのまま入院が11か月。家族二人入院の非常事態。

月曜日、父が車を運転し、母と消化器の病院へ行き、
紹介状を受け取り、総合病院へいきました。
昼頃、父から電話があり、
「お母さん、入院することになった」と
私「どうした?」
父「すい臓に腫瘍があるんだって」
私「そうか、わかった」

夕方、仕事が終わり病院へ行きました。
病室にはベッドの上の母と、椅子に座った父が居ました。
母は、なぜか笑顔です。心配させまいとしていたのでしょうか。
私は何を話してよいか判らずに
「何か必要な物はある?」と聞きました。
母は、メモ用紙に
湯飲み、歯ブラシ、スリッパと書き、
「持ってきてくれる」と言いました。
「孫たちの夕飯も頼むよ。出前とか弁当でもいいんだよ」と
自分より家族や孫の心配をする母
何も言えない自分。情けない。

同じ病院に、妹も切迫早産で入院中です。
家族二人が入院という、我が家にとっては非常事態です。

入院中の妹に、母の病気をどう伝えるかも悩みました。
切迫早産で絶対安静の妹に、
「すい臓がんだよ、余命3か月」と正直に伝えるかどうかです。
記憶が定かでないのですが、
おそらく、すい臓がんだけを伝えたと思います。

母入院中に妹出産、母も新生児室へ散歩

母が入院したのが9月、
翌年の5月に切迫早産で入院していた妹が出産しました。
母も喜んで新生児室へ見に行きました。

妹が退院前には、母の病室へ赤ちゃんを連れてきました。

赤ちゃんってすごいです。雰囲気が一気に明るくなりました。

全員笑顔です。

あの時、がん検診を受けて入れば、もっと早く病院へ行けば、責めないでください。

もっと、発見が早ければとか、自分や家族、医師を責めないでください。
がんの、真の早期発見は無理かもしれません。

ご自分もがんで亡くなった医師のブログです。
こちらを参照ください。がんの自然史
私はこれを読んで救われましたし、母のすい臓がんを受け入れることができました。

このブログを読むと、何々で末期がんが治ったとか、がんにこれが効くといったことも、真実ではないことがわかります。

すい臓がんの治療 抗がん剤、放射線。成果の出ない治療はつらい

放射線と抗がん剤の併用療法

入院して最初の一か月は、放射線と抗がん剤の併用療法でした。
目的はすい臓のがんを小さくするという事です。

小さくなっても治るわけでも、余命が伸びるわけでもありません。

抗がん剤の副作用での脱毛は無かったです。
ただ、吐き気が時々あるようでした。
病院の食事は、食べれないことが多かったです。

放射線と抗がん剤の治療が終わると、胃と十二指腸の吻合手術をしました。
消化管が狭くなる可能性があるから、予防的に通り道を作るという目的です。
今思うと、これは不要だったかなと思います。(母の場合は、です)
理由は、そもそも食べれなかったですし、消化管が狭くなる前に亡くなったので。
手術前の検査も、母にとっては大変だった。
鼻からチューブを入れて、造影検査をしましたが、この検査が本当にしんどかったようです。
検査室から出てきたときは、検査時間の長さ、辛さに怒っていました。

この手術の後、私は病室に二日間泊まり看病しました。
母の鼻からはチューブがあります。胃まで達してるチューブです。
術後の母は、吐き気がひどかったです。
麻酔のせいなのか、元々の吐き気なのかは不明ですが、ひどかったです。
母は「この手術やらなきゃよかった」と後悔の言葉を口にしました。

私も、このときは本当にしんどかった。

病院から一度だけ有った、母の電話

入院中に一度だけ母から電話がありました。夕方4時ごろです。

母「お父さんの事を頼んだよ」
涙声で掛かってきました。

私は「何言ってるんだよ。わかった」それしか言えませんでした。
急に不安になったんだと思います。

深刻な話や、悲しい話はこれ以外ありません。

きっと母は深刻なことも、涙が出る話もしたかったと思います。家族が悲しむのを見たくないから我慢していたんだと思います。

緩和ケア療養。何もできないもどかしさ

胃と十二指腸の吻合手術の後は
四人部屋に移り、約9か月間、療養生活です。
治療は特にありません。
吐き気止めだけでした。
先生からは自宅に帰っても良いという話がありました。
ただ、母が病院が良いという事でしたので、病院での療養生活でした。

病院にいても、病状は悪くなるばかりです。

見舞う私たちもつらい時期です。
治る病気や退院が目的の入院ならば
「具合はどう」とか、「良くなったね」とか、
かける言葉はたくさんあります。
この時期は本当につらいです。

一時帰宅は2回ありました。
一回目は正月に三日ほどです。
母の好きな料理をみんなで食べました。

2回目は入院した翌年7月末から、妹の家へ一時帰宅です。
妹も、産休で家にいるという事で、そうしました。
このころは、私たちから見ても、母の命はあと少しというのがわかりました。
訪問看護を受けながら、療養を続けました。

八月初め、八戸の花火がある日です。
早朝5時頃、妹から電話がありました。
「お母さんが痛がってる」とのこと。
駆けつけると、お腹を痛がっています。

救急車を呼んで、病院へ戻りました。
帯状疱疹でした。

みんなで花火を見るのを楽しみにしていたんですが
見ることはできませんでした。

病院へ戻り
10日ほど経った、8月上旬、母は亡くなりました。

おすすめ、がんの情報で役立ったもの「回想法」

がんに関する治療法などの情報探しで、役立ったもの、良かったものをご紹介します。「回想法」です。
この方法はこの論文などでも、がん患者への良い効果が認められています。

上記の写真は、押入れから見つけたカラースライドです。昭和37年の撮影で、私が生まれた時のものです。これから紹介する回想法で、これを見ながらいろいろ話をしました。

アマゾンに参考書籍があります。
「Q&Aでわかる回想法ハンドブック―「よい聴き手」であり続けるために」参照ください。

回想法の一つの方法としてアルバムを見ながら、話をするというものです。がんになるとどうしてもこの先どうなるとか、いつ病気が悪化するかなど、未来のことを想像して、落ち込んだり悲しくなることが多いです。

アルバムを見て過去を振り返ることで、がん患者の気持ちを安らげることができます。また、看病する家族も、心が安らぎますし、今後聞けなくなるかもしれない、自分の子供時代の話を聞くことができます。

私も、押入れを探してアルバムや写真を見つけました。そしてその写真を見ながら、母といろいろ話をしました。

そのなかで、父との馴れ初め、初めてのデート、プロポーズを受けた話などは、初めて母から聞きました。

話してる時の母は笑顔でした。

本当はもっとたくさんお話を聞きたかったのですが、私がつらくなって、一度でやめてしまいました。

何がつらかったかというと、「母の人生を締めくくる」ような感じがしてつらかったです。

八戸より東京?がんの治療法探し。でも、患者さんと向き合ってください。

私は、がんの母を看病した中で、後悔していること沢山あります。

後悔1、治療法探しに集中し過ぎた、気が紛れたからかも

母のすい臓がんが分かってから、私は、何とか直したい一心で、ネットで情報を探し続ける日々が始まりました。
当時の検索エンジンは今ほど優秀じゃなかったので、「がん」とかで検索すると、怪しい健康食品が上位に表示されることが多かったです。
今思えばバカなのですが、がんが治るという「水」や「海藻エキス」などを買いました。
当時の私は、母のすい臓がんを認めたくない。
奇跡が起きてがんが治る
私の母だけは治る
そう信じていたんだと思います。

後悔2 食べさせるという罪。患者の為じゃなかった、自己満足だった。

日に日に痩せていく母に、

何とか治ってもらいたいという一心で、

私は毎日、食事を病院に持っていきました。

母は、持って行った食事に箸はつけますし、美味しいと言ってくれます。
でも、無理して食べていたんです。
食べるのが苦痛だったと、あとで聞きました。
元気で食欲のある人が食べれないことは苦痛ですが、

食欲のない人が食べないのは自然なことです。

後悔3 母といっぱい話をすればよかった。普通の生活のありがたさ。

普段の生活でももっと話をすればよかったですし、入院中ももっと話をすればよかった。
母へははっきりと「すい臓がんだよ、余命は数か月だよ」と告げることができませんでした。
そのせいもあって、母とはたわいもない話しかできなかったです。
例えば、今になって、
アルバムを見て
「この写真の人誰?」とか
「僕の子供の頃、どんな子だった」とか
「これ、どこに行ったとき」とか
母に聞きたいこと、いっぱいあります。

まとめ 本当に見るべきものは患者。がんという病気じゃない。

後悔のすべては、母への接し方です。
治療法探しや、直したい気持ちが勝ってしまうと、私のように後悔します。
しっかりと、がん患者さんと向き合うことが大切だと思います。

3.がん治療での病院、医師との向き合い方

がんの治療法探しと並んで、もう一つ問題だったのは医師との向き合い方です。

母は入院していた総合病院へ一年間通院していました。胃が痛いという事で通っていました。
すい臓がんを見つけてくれたのは、前述の血液検査をしてくれた病院の先生です。
そのことで、総合病院への不信感がありました。
ですから、その病院へ入院してからも、不信感が常にありました。

今になって思えば、すべて、適切です。
黄疸や血液検査で異常が見つかったのも、たまたま、消化器科を受診した時期に胆管がすい臓がんによって圧迫されて胆汁が流れなくなって、発出したものです。

すい臓がんで母が無くなるのは避けられなかったことだと思います。

がんになった事実を受け入れることができないことを、医師や病院にぶつけることは、がんと闘っている家族の為にもならないんですよね。

総合病院の看護師さんや先生は、みなさん親切でした。

話をよく聞いてくれ、私や母の希望をよく聞いてくれました。
感謝しています。

がん治療の症例数や実績を調べる本

私の母の時には知らなかったので使いませんでしたが、良い本があります。

「病院の実力」という書籍です。読売新聞が毎年発行しています。書店や読売新聞販売店で売ってます。

アマゾンでも買えます。リンクはこちらです。

数多くのがん治療や、がんの手術をしている病院を調べることができます。経験豊富な病院や医師をお探しであれば役立つと思います。

私も、お客様に見ていただくために購入したものがあります。少し古いですが、ご覧になりたい方は、店までお越しください。ご自由にご覧ください。

がん治療 病院の実力

がん治療 病院の実力

がんの治療費、損得じゃない保険の意味。

長期入院。がんの治療費どうする問題

療養期間の入院は約9か月ありました。
この間に生命保険やがん保険について考えさせられることがありました。

母は四人部屋にいました。
同室の患者さんは、母と年の近い60代のおばさんばかりです。
全員がんです。部位はすい臓がん二人、胆のうがん二人。
体の奥の見つけにくい部位のがんばかりです。
入院中に一度、母にカレーを持って行ったことがあります。
四人部屋なのでカレーの香りが部屋に漂います。
カーテンの向こうから、

同室のおばさんが「今日の給食はカレーかしら」という声がします。
母は「ごめんね。そうじゃなくて、息子の差し入れなの」と

私は申し訳ない気持ちになりました。
翌日、御礼の意味で、近くの洋食屋さんでハンバーグの持ち帰り弁当を四人分作ってもらい
病院の夕食の時間に持っていきました。
給食の配膳に来た看護師さんも、

「あら、いい匂い。美味しそうだね。」と
言ってくれました。
四人でおしゃべりしながら、美味しく食べたそうです。

がん入院費の支払い、患者がお金の心配するって・・

がんなどで長期入院中の医療費の請求書は、二週間ごとに患者の枕元に置かれます。

それが届くと、家族へ手渡します。
請求書が届いた夕方のカーテンの向こうでは
患者と付き添い家族の「支払いどうする」
といった、ひそひそ声が聞こえてきます。
もちろん、二週間ごとの請求書の時期になると、患者同士でもお金の話になるそうです。

あるとき母が私に聞きました。
母「私の入院保険、打ち切られてるの?」と
私「がん保険は入院給付金が無制限なんだよ、だから心配しないで」
といいました。

数日後、母が私にいいました。
母「入院保険は打ち切りがあるのが普通、
入院無制限ていうのは、
息子さんが心配させないように嘘を言ってるんだよ、
同室の患者さんに言われたと」

私「本当だよ。がん保険の入院は本当に無制限なんだよ」
といいました。

母「そうなんだ。安心した」
といいました。

がん保険を販売している私の母でも、がん保険の保障内容を理解できていない事とに驚いたこと。
また、がんと闘いながら、家族にお金の心配をさせるのを気に掛けるがん患者がいることを目の当たりにして、保険の重要さや、丁寧な説明の大切さに気付かされました。

入院しながら、入院費の心配をするのは、本当につらいことだと思います。

保険は安心のため。保障内容の確認が大事。

保険に関して考えるとき、損だとか得だとかで考えることもあると思います。
もちろん、その考えも正しいですし、否定はしません。
ただ、入院中にお金の心配をすることを実際目にすると、
保険は損得じゃない
安心感なんだとおもいます。

保障内容の確認も大事です。
母の同室のおばさんたちも保険には入っていたんです。
でも、内容はしっかり理解していませんでした。
入院給付金に日数制限があることを、知りませんでした。

また、私の母も、がん保険の入院給付金が支払い日数無制限という事を知りませんでした。

保険の内容を、普段からしっかり理解してこそ、
「保険入って、安心」と言えるのだと思います。

ご参考
このページで商売をするつもりは無いのです。
ただ、この保険料で安心できるならもっと早く知りたかったという事が無いように、がん保険の保険料、ご覧になってみてください。

ご家族が健康で、毎日、忙しいあなたへ

家族と過ごす、何気ない毎日は、宝物です。

私の母ががんになって、11か月、私は何もできなかったです。
病院の治療と病気の進行に身を任せるだけでした。

家族や自分に何かできること。

それは、「今を大事にする事」だと思います。

あなた自身と、ご両親の保険の内容を確認

私はなにも親孝行ができないまま、母をなくしました。
唯一の親孝行は、私がアフラック代理店で、母ががん保険に入っていたことです。
11か月に及ぶ連続入院でも、治療費の心配は有りませんでした。
母の場合、がん保険から総額500万円ほど給付を受けました。

皆さん健康な今だから、確認だけはしてください。

普段からもっと話をする

家族が健康で、何気ない毎日は、何物にもかえがたい宝物です。
普段の親孝行を大事にしてくださいね。
おしゃべりをするのも、親孝行です。
病気になれば、何気ないおしゃべりもできなくなります。

日常は突然終わる。来年は来ないかも、毎日を大事に

母とねぶたを見に行くことは叶いませんでした。

「来年は行こうね」
が、叶わないこともあります。

ある日突然、何気ない日常は奪われます。

自分も親も来年生きている保障は有りません。

あなたに子供が居れば、子供の今の時間を大事にしてあげてください。

あなたの時間も大事にしてください。

ご両親が健在なあなたは、電話で話すのも親孝行です。
美味しいお菓子をもって、お茶を飲みに行くのも親孝行です。

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